DATE 2022.8.2
FROM 岸田美紀
第6回「料理は女の仕事ですか?」
最近「料理がつらい」と吐露するSNSでのつぶやき、小説やコラムでの表現がよく見られるようになりました。
コロナ禍以降、在宅の時間が増え食事のしたくがストレスになっているのだろうなあと想像できます。
家事分担の問題も古今東西なかなか解消しないことではありますが、主に家事を負担している人からすると、料理をしたい時にするのと、365日しなくてはならないと思ってするのでは大違いですよね(料理が好きでしかたがない、という人はどうぞそのまま楽しんで!)。
思うに、その悩みの原因の一つは「贅沢すぎる日常の食卓」ではないでしょうか。
現在40~60代の昭和生まれの人は、その母親が専業主婦だったという人も多く、日本人史上最も贅沢な、手作りの食卓を見て育った世代かもしれません。肉や魚の主菜に副菜2~3品、汁に飯。もしかしたらその他に酒の肴も手作り。その形がイメージとして定着しており、加工品や総菜を買い込んでまで整えようとしている人も少なくないのではないかと想像します。
さらに食べるものは買うものという消費文化も加速、料理もレジャー化し、おいしそうな食品が次々に目の前に登場します。
「インスタ映え」という言葉に象徴されるように、見た目も麗しいことが当たり前になりつつあります。
ひと昔前には手作りするしかなかったという事情もあり、それだけ時間があったということでもあり。
でもその形を踏襲しようとするのはなかなかに厳しい。というか、そもそもふだんの食卓にそんな贅沢必要かな、と。昭和初期の庶民の食事はせいぜいごはんと汁に漬物、たまに魚というくらいで、江戸中期くらいまでは1日2食だったという説も。
照明用の油が普及し夜の活動時間が伸びたこと、生産力が上がって食べものが確保できるようになり、3食に変化してきたとも言われています。
遡ると狩猟採取の時代には、食べものが手に入った時だけ食べていました。日の出とともに起きて畑に行き、おなかがすいたら食べ、日が暮れたら眠る。空腹が最高のごちそう、ほんとうはそれがいちばん。
少し話は変わりますが、やはり料理を主に担っているのは女性、ということがまだまだ多いと思います。
「女性活躍」とさかんに言われていますが、家事負担はそのままに共働きという側面だけが強化されてきた日本の30年。
料理は楽しいことなのになぜ男性は参加しないの、というポジティブな問いかけもある一方、いや家事としての料理は義務なので、分担すべきでしょう、という議論も。
海外に目を向ければ、家でほとんど料理をしないという国もあり、何が正解かはわかりません。
ただ、日々の暮らしを楽しむには、男女を問わず誰でも料理はできたほうがいいと思うのです。
ただし!みんなでごはんを作る、そのためにはレシピを見てレストランのような料理を作らなくては、なんていう思い込みは捨てたほうがいい。
手を抜くというより、まずはおにぎり一つ、とれたての野菜、一汁一菜で充分と満足できる感性をこそ取り戻したい。
食べることは生きること、料理は女の仕事ではありません。人が生きていくための技術であり、同時に生きる喜びを分かち合う手段です。
もちろん時には本を見てごちそうを作ってもいい。自分でごはんを作れるということは、縛られず自由に生きる力になります。
どうぞ、食べて生きることを楽しんで!
焼きおむすび
戦国時代の武士は「干し飯」という干したごはんと味噌や梅干しなどを携行食にしていました。今風に考えても、ごはんと味噌があれば、炭水化物とたんぱく質と脂質がおおむねバランスよく摂れるので、食事としてもおやつとしてもおすすめです。いろいろな野菜を混ぜて握ってから味噌を塗って焼きおむすびにすると、見た目もきれいな完全食です。
<材料>2個分
炊いたごはん 150g(茶碗1杯)
野菜などの具 50gほど(見た目でごはんの1/3くらい)
味噌 適量
<作り方>
ごはんに野菜などの具(ミニトマト、コーン、茹でた枝豆、茹でた青菜など)を混ぜ、2個のおむすび型にしたら味噌を塗り、グリルかオーブントースターの高温で焼き目がつくまで焼く。焼き網などで焼いても。※生で食べられる野菜を具にするのがかんたんですが、加熱したもの、水っぽくないものであればなんでも具にできます。
カテゴリー: 料理